福西です。先日、自転車が盗難にあい、善は急げという事ですぐに自転車を買いました。
そしたら、次の日同じ場所に自転車が舞い戻って来た・・・。
最近はこんな感じで不幸中の幸いがとても多く、幸せなのかそうでないのかよく解らない。
ただ、一筋の救いに「ありがたやー」と思って過ごしています。
近頃は若手育成の課題がひとつの山場だと思います。
色々なことが昔に比べて複雑になり、20代の右も左も解らない人たちが、技術を覚えにくい時代になったとそう思います。自分はどの様に、育まれてきたのかと思い返します。
話は飛んでしまいますが、今、私はミクロン(1/1000㎜)という単位で鉋くずを出す、削ろう会という大会に向けています。刃物研ぎの練習をしながら、鉋の調子を上げていっています。
私の先輩が研ぎについて、少々アドバイスをくれたのですが、研ぎの目的は、鎬面を真っすぐにして砥石に吸着させる所を目指しています。人にそれを話すと、そんな事をするより鉋をひっぱる練習した方が・・・という様な、、、皆がそんな目をしています。
ですが私は、何の疑いもなく、この先輩の言葉を信じています。この人が言うから、何かある。
そう思っています。
若い人の育成に話は戻りますが、先輩から教えを請うた時、若い人はとりあえず言われたままにやってみます。もう少し、やってみますが上手に出来ません。そしてやっぱり、出来ません。
その時、若い人の頭の中に、もしかしてやり方が悪いのではないか?という思いが芽生えます。
他の人のやり方を学ぼうとしてしまうかも知れません。
私は、そうではない様な気がします。やり方は千差万別、どれも正しいのです。
問題は、若い人が、先輩の教えを正しく聞いて、正しく実行出来ているかということではないかと思っています。もっと追及して教えてもらって、お互いに真剣になって関係性を築くこともとても大切な気がします。
この仕事に忍耐は必須ですが、中途半端で終わらせるとただの我慢。
乗り越えたから、今の自分があると思えたら、それは耐えたのでも我慢したのでもありません。
私にとって、この人の言葉は信頼できると思えた人に巡り合えた事が素晴らしいことかな、
と思っています。
「いち、きり に、のこ」は下っぱのしんどい仕事を言っています。
まぁ、先輩という職業は、最終的なコツについては、親切に教えてくれませんから。
意地悪と取るか、優しさととるかで、それもまた違ってきますね。