とある先日の工場、ひとりの職人の生き様を見た気がしました。昔、色んな職人さんが出入りしたので、世間の「職人」といわれる方の技量や癖を垣間見る経験が出来ましたが、皆々、元来弊社に居られる職人さん方には到底敵いませんでした。中でも群を抜いていたのが、現在仲良しでもないけれど、気心が知れている師匠です。新人の私にも職人さんたちが「別格だ」と言い良いしていたのをよく耳にしました。
始業半時間くらいして、つま先の届かぬ自転車で眠そうに登場するのがお決まりで、いつもパリッとした服装に雪駄の出で立ち。近寄り難い感じがなく、でも、作業に入ると「華々しい」という言葉がよく似合いました。現代の職人がどうもがき努力しても持つことの出来ない生まれ持った素養がありました。どことなく醸し出す普通の職人にはない気高くまとわれた雰囲気は、20歳そこそこの私にもよく分かりました。
歳月を経て先日、動きにくくなった身体には少し難儀そうな作業にも、必ず一度は意地張るのですが、後、きちんと言葉で頼まれました。
男社会の中で一緒にさせて頂く私にとって、女性目線はこれでも多少持ちますが、何も重たい建具を持ってくれることだけが男らしさではありません。
弱さを認め言葉にした師匠の「男らしさ」を感じ、当時の私には雲の上の誇り高き職人だった記憶の中に居ました。
気持ちの部分はまだまだ現役続行中で、こちらの頼み事は全然聞いてくれないのでさすがに腹が立って、親子ケンカみたいなことも稀にありますが、翌日には忘れてしまいます。
サッカーで鍛えた足癖の悪い私も逆目線に然り、ですが、積み重ねた心持ちがいずれ誇り高さをまとわせるのかなと思いながら、師匠の奥の手を引っ張り出して、建具を深めていきたいです。
福西