福西です。先日、仕事を少し早く切り上げて新人の田中君の歓迎会を、皆で鍋をつつきながら行いました。 大西商店のお酒の場は、皆さん普段の職場の顔とは違って、とても楽しい宴会になります。
皆さんから激励を頂いて、さぁ!田中君、未来が楽しみです!!
私は、先日、とても納得出来た文章に出会いましたので、そちらの言葉を引用しまして、一緒に頑張って行こう!という祝福に代えさせて頂きたいと思います。
受け売りで失礼いたします。
『 外国の場合には、先に自分しかないという個性というものが存在する。ところが日本のお茶や花・書、芸術の場合には必ず型が在り、ことごとくすでに在るものの中に入っていくことから始まっています。 そうしてそこから自分らしさを出すなんてことは容易には出来ないことも段々と解ってきます。同じ所作や事をなしても、宗匠と呼ばれる人と経験の浅い人ではそこに現れる何かが決定的に違う。それは型に押し込めても尚、滲み出てくるその人の本質、形ではない感性です。
日本の美において、個性とは、出発点では無く到達点なのですね。
そうした日本の美は、一朝一夕に手に入れられるものではなく、10年、20年と長い年月を経て始めて姿を現してくる。ですから、日本人は、単純で解りやすいものよりも、あいまい模糊としたものに心魅かれるのです。これ見よがしに見せつけたり主張するのではなく、淡々と心の内に人知れず花を育てる。そういう生き方もまた凛とした日本の誇るべき美しさではないかと思うのです。」
建具にも各々の会社にも、同じ様に型があります。 型とは一見窮屈で自由の無いように思えますがそうでは無いかと思います。 好き嫌いを作らず、人の意見は受け入れていく素直さが、一番の早道だと思います。
これが出来ないから皆、回り道したり壁にぶち当たるのですけどね。。