「先輩。私はあなたの事が大キライで、今、あなたについて悩んでいます」
私が数年前に、悩んで、悩んで・・・当時の先輩に言いたかった一言です。
ついには、「いつも何かにつけて厳しく、怒っているから、あなたの言うことが正論だとしても、私はあなたに信用がありません」とぶつかってしまいました。その後は・・・修羅場・・(汗)
ここに度々登場する、相当に性格の悪そうな過去の先輩ですが(笑)、今となっては、ここ一番には何かと相談させてもらいますし、会えば背筋が伸びそうな処でごちそうしてくれる、私にとってはかけがえのない人に、残念ながら・・・なってしまいました。。
話は変わりますが、先日、「えぇ感じの会社がやっているあんなこと、こんなこと」という題目の組合の勉強会に若手社員全員で参加させて頂きました。
内容はというと、、
寿命が84歳だとして、76歳が仕事やしっかりと生活が出来る健康年数の上限。その76歳から現在の自分の年齢を引きます。私は33歳なのでこの時点で43年が残りの時間です。さらに睡眠時間が3分の1、会社までの通勤時間を引いていくと・・・・
なんと私が仕事を出来る残り時間は、25年分しかないということが判明しました。
この25年を仕事にやり甲斐なく、残念な気持ちですごしますか?ということが副題です。
例として、今、話題の人材育成術が注目されている企業が挙げられていました。えぇ会社とは、リーダーがどんな会社にしたいかを明確にし、その「風土」を作り上げていくことだという事でした。そして私たちは隣の席の人たちと、どんな「風土」を作っていきたいか?というディスカッションをしました。そこでは「楽しい雰囲気をつくりたい」という意見が私の耳には残りました。
時は1日進み、29日はお給料日、月例の焼肉飲み会です。
若手社員に混じって、職人さんでただ一人、参加してくださっている方が居ます。
私にとっては上司のその方に聞いてみました。
「見習いの時代、住み込みの時は楽しかったですか?」
「結果となっては、楽しかったかな」
工場では聞けない、お酒の席だからこそ聞ける一言です。
私事ですが、入社間もない頃、楽しかったか?と問われれば「楽しいはずが無い」と答えます。なぜなら、前述の先輩に悩んでいたからです。「ただでさえ早くてキレイに作れない事に悩んでいるのに、加えて先輩の人間性で後輩を悩ませるなんてありえない!」とさえ思っていた事もあります。時には耳を疑いたくなるような言葉に「いつか、負かせてやる」と思い日々を過ごしました。時が経ち聞いた話には、その当時、その先輩は素直に「ハイ」と言わない私に悩んでいたそうです。お互いに、悩んでいたのです。今となってはその先輩の、腹わたを煮え繰り返すような言葉が、私を磨いてくれたと思うことが出来ます。
先輩は出来ない私を磨いてくれた、そう、例えれば「砥石」みたいなものだったのかもしれません。ではいつ、どんなきっかけで先輩を先輩だと思えたのかというと、、やっぱり技術の上では何一つ勝ったことが無いのです。どんなに偉そうに言われても、まだ上に立ったことは無いのです。その時に初めて、「先輩」だと心から納得出来たのだと思います。
「楽しい」とは自分を厳しい環境に立たせて、目標をクリア出来た時に少しだけ味わえるもの。今の私の「楽しい」は、工場全体で厳しい納期に間に合わせられた時、「ごくろうさん」の一言を頂けた時、「やり甲斐がある、楽しい」と感じるのです。「楽しい」なんて事は納期と品質、自分の今の限界の技術が有るなかで、はじめから求めるものではない。とは、これ正論。
しかし、正論も言いすぎれば効果を失います。
変わっていく時代の中で、守るべき事と変わらなければいけない事。
厳しい中にも「楽しい」、というよりもむしろ「気持ち良く向上心を持って」、を感じていく頻度は、昔よりも少し、多くても良いのかもしれません。
今の若い人に「何くそ!」の根性があればそれに越したことはありません。。
福西でした。