現場より

2015/12/08 | Categories:ブログ

一ヶ月程前から、口を開けば微妙に見える位置の歯が一本なかったので、笑わないで過ごそうと決めたにも関わらず、3日も経てば忘れていました福西です。
こういう時に限って人と会うことが多くて参りました。

さて、最近のお仕事といえば、大量数の紙貼り障子をさせて頂きましたが、
普段使いの材料より一段グレードアップすると工場の雰囲気が違います。
諸先輩方からの無言のプレスを感じずにはいられません・・・。

 

職人というよりは技術者になりたい私ですが、どんな作り手になりたいかと言うと、
明日自分が休んでも誰でも引継ぎが出来る仕事が理想です。
誰でもわかってもらえる様に整頓しながらまとめながら出来れば最高です。
ですから、自分勝手な加減はしたくない。
と言うと、聞こえは良いだけであって本当は、その時無垢の建具を作る感覚が少々薄れていました。図面から数値を追いかけているだけで、一緒に仕事をしている職人さんとの白書きの墨の感覚が違っていたことに、実は「しまった!」と思いました。
墨通りなんだけど、墨通りじゃない。その時は加減が必要だったのです。

きっとこの仕事、難儀してしまうかな?そう思いました。
先輩職人さんの心の内はきっと、「堅い」やら「柔らかい」など思われていたでしょう。
申し訳ないと思いながら、けれど、文句ひとつこぼさず、傍から見れば何ひとつ難の無い様に見せかけて仕事をされていた。
それが、その職人さんの技術であり、何より優しさだと思います。

 

大きな仕事をする場合、一人の技術の優れた人が工程毎に指示を出すと、間違いなく綺麗なものが出来ます。
もちろんそれで十分なのですが、それでは出来たものに個性がない様に私には思えます。結果は良くても、過程の中身がないので、面白みがない。

けれど、今回は結果、不思議と上手く素晴らしい納まりになりました。
工程毎に、こうしようか?ああしようか?皆で作り上げてきたからです。
個が自由に泳いでいるように見えても、まとまってきます。

結果良く、過程が素晴らしいとはこの事かなと思います。
強い言葉や力で抑える必要は全くなく、個の感覚の集合体でも、
「大西商店の技術力は大丈夫やー!」と感じました。

一人一人の感覚は違っても、芯の様なものは共通しているからですね。
それは、信頼があるから出来る事です。


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